2009.04.01 01:03:21   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
桜の白描を仕上げるために、源氏物語の朗読を聞いていたら、心をぐっとつかまれる箇所にぶちあたったので、原文をコピペしとく。源氏でチャージかけたから、やっと終わりました。
源氏の口から琴を奏でることに関して、芸術論を語らせていますが、他の藝術にも通じると思います。さて、これは紫式部の見解なのか、それとも道長やその他の貴人の論を聞き書きしたものであるのだろうか?
平安期の実在の人間であったら、なんとなく、源融が言いそうな感じ。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text35.html#in52より。
 「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける。
 この琴は、まことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。
 この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむありける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世にはありけり。
 かく限りなきものにて、そのままに習ひ取る人のありがたく、世の末なればにや、いづこのそのかみの片端にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありけるのち、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。
 琴の音を離れては、何琴をか物を調へ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。
 などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べ一つに手を弾き尽くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調べ、わづらはしき曲多かるを、心に入りし盛りには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見合はせて、のちのちは、師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上りての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」
 などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかしと思す。
 「この御子たちの御中に、思ふやうに生ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめたてまつるべき。三の宮、今よりけしきありて見えたまふを」
なかでも、「がんばるよ」と思ったのは以下の部分。
 げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。
 などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。
他の訳と解釈が違うけど、林望先生から秀をいただいたこともある、私の古典の解釈では、こうとしか思えない。
それでも、若い芸術家に強力な支援をしてくださるポーラ美術振興財団さまには大感謝であります。
なお、終わりの部分で、源氏のおじいちゃまから「才能をかいま見させる」といわしめた「三の宮」は、後の宇治十帖のダークヒーローの、匂宮であります。
「とどめたてまつるべき」と、おのれの技量を後世に遺したいと希望を述べることばに、「たてまつる」という謙譲語をつかうあたりに、源氏、もとい平安貴族の文化へのナチュラルな義務感がにじみ出てます。
平成の財界や政界の方々にも、この気持ちを持って欲しいなーと思います。
西湖にて春を告げしは雅なるむかしのちひさき山桜なり
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  2009.04.05 01:30:16   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
私の先生は、声もお姿も伊集院光によく似ていて、アグレッシブで物知りで、物まねも上手で、話の運び方もとても聞きやすく面白い。そんな先生と3年生2名と、夜に近所のホテルのサロンで待ち合わせし、その場でお茶を飲みながら、またまたこってりとしぼられ、意気揚々と持っていった白描もメッタ斬りにされ、明日への闘志を新たにしたのでした。
そんな先生の心に刺さったコトバのいくつか。
日本人の書って、なんか中国の理論系の人の書と似た雰囲気を感じる。なんでだろ?
私も、なぜ、日本で学んだ日本人の書と、中国人の書が違う感じを持つのか気になっていました。
日本って文化もそれなりにあって、立派な書家とか画家とかいるのになんで、日本人の画家の絵は题跋が少ないのだろうね?
私の答えた理由は、中世以降の文化の担い手は文官でなく武官であったため、「文人」の方へ絵画藝術が傾いていかなかったのでは?ということだった。それから、日本に科挙と言うシステムが無く、武官が文官を兼任し、士農工商と武士社会のシステムについて、中国語で話さなかればならなかった。
同じ時に3年生の先輩が北宋風のたいへん上品な絹本の絵を持って来ていて、また最近のひとり源氏ブームを鑑みると、紫式部や空海、はたまた飛鳥白鳳の人々の憧れた「中国」というものについて、もっとまじめに深く勉強していかなければと思うようになった。
先生は、日本と中国がそのように分かれた理由で論文を書けば?なんて言ったけど、これは私の専門外だし、狩野派は私の手には余る問題なので、私が中国に興味を持ったもっとも最初の理由の、「飛鳥、奈良、平安のひとびとが憧れた中国」というもの、すなわち六朝唐宋について、忘れてしまった部分も含めて、地の利を生かして充分に復習しなければと思った。
それがあってこその、元明清なのだし。
社会のシステムが創作活動の根幹に与えた影響については、これはいかにも中国的なマクロな視点ではあるけれども、理論系の皆さんが研究すべき分野だと思う。
私の専門はナノな技法材料……。
しかし、実際、徽宗の時代が日本の歴史にとっても、絵画史にとっても岐路であったのだと思う。詞書のある絵巻とか、装飾料紙とか構成的には「题跋のある絵」といってもおかしくないけど、その後は禅宗系以外には字にも心を傾けて画面構成している絵画はあまり無いのではないだろうか?でも、「题跋のある絵」が表に出て来たのって、中国では宋の時代より後だもんな……絵因果経みたいな仏教系の絵解きが、「絵と字がいっしょでもいいんじゃないの?」っていう下地を作り、それをいち早く消化したのが日本で、ゆっくり寝かせて「文人画」にまで変成させたのが中国なのかな。理論とか弱いし、半端者だから、良く分らないけど。
個人的には絵は絵で見せたいと思うので、自分の絵は、题跋も名前もハンコもない、昔の名画のような画家の存在が消えてる感じを目指しています。でも、ちゃんと書道も篆刻も勉強します。(う〜んと、それって「個の表現」方法の差でもあるのかな。日本画が時としてダイナミックなまでの色彩と斬新な表現を用いて「個の表現」するのに対して、中国画は伝統に則ったスタイルで「個の表現」をするために题跋を必要としたのかな?揚州八怪が「怪」であるのは、そういう伝統から逸脱して個を表現したところに「怪」があるのかな?先生は、近現代の日本画に時として「怪味」を感じると言ってたし。そこで出現した漫画、劇画ってのも、鬼子だよね……)
絵の修行には二段階ある。「描けるか描けないか」、そして「美しいモノを見つけられるか、美しく描けるか」だ。お前はもう後者の段階なんだから、こんなのじゃだめ。
そういうわけで、一発描きの万年筆をしばらく置いて、鉛筆でじっくりと描く(でも消さない)冩生に立ち返り、もう一度素直な目で自然を見つめ直すことにします。もう多少、もとの自分の日本画的なスケッチに戻っても、それが自分なのだから気にしない。それよりも植物の構成のクオリティをあげていくことが緊急課題だ。「枝や葉の交差」が、予備校の時の「ガラスの透明感と抵抗感を同時に表現する」ような、表現上の基礎だけど、とても重要なシビアな問題になってきている。美院の先生がいいところは、そういう基礎の基礎を、予備校以上の深いこだわりで追求してくるところだ。高度に抽象的な問題にも拘ると同時に、いつでもそういう基礎の部分について、遠慮なく指導してくれるのがよい。
この日は、先生はほかにも絹本上の白の表現についてなど、とても深く役に立つ話を、まじめにそして面白くしてくださった。先生は教室での大勢での講義をあまり好まないと言うのは、良い雰囲気で、その学生にあった指導をみっちりしたいからなのだと思う。
先生は私がいくら厳しいことを言ってもめげないとよくお分りになられたので、もう、まったく「很好」なんて言いません;
とにかく手を動かすこと。
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  2009.04.07 22:57:19   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
来週から洛陽に牡丹を写生にいくので、いろいろ手配してみた。
片道の電車代は軟臥の普快で243元、宿は公寓式酒店を六泊七日で予約して、多分1000元くらい。
この時期の洛陽はものすごくホテル代が跳ね上がる(しっかりしたバスルームがあってネットが使えるところだと一泊500元以上になる。普段は150元くらい)のだけど、こんなカンジで一泊150元なら还可以というとこかな。問い合わせの電話にも丁寧に対応してくれて、いい感じでした。
予約したのはC-Tripでもない、もっとマイナーで安いサイト。
http://www.becod.com/ 中国名は百酷
百酷は、安宿予約も兼ねたSNSというおもむきで、ユースホステルの無い都市もカバーしているし、ネットが使える所も多い。主な利用者は、学生みたい。中国の安価な「公寓式酒店」というと(高いところはホントのサービスマンション)、日本でいうラブホ目的で使用されていたり(特に大学の近所で時間貸しをしてるとこ)、外国人が泊まれないこともあるので、ホテル名で検索して他のサイトでの評判を見たり、電話で外国人が泊まれるか、価格はどうか、確認した上で予約した方がいいと思います。
しかし、C-Tripは最近は、裕福なビジネスマン向けのサイトになってしまい、ホテルもエアチケットも最安ではないし、サービスも硬直化して来ている。寮の友人の間でも、エアチケットは他で探す方が安いという認識が広まっている。こんどの洛陽もC-Tripだけで予約していたら3000元とかになっていたので、あがいてみてよかったと思う。
ほとんどの中国旅行はでたとこ任せで、ユースホステル以外は、予約しないでいった方が安上がりになる。一泊30元以下で風呂無くて相部屋とかなら、この時期の洛陽にもいっぱいあることは想像できるけど、列車が朝の四時につくし、普通の旅行と違って、ひとりで休めるところに泊まりたかったので、大事を取って予約してみました。
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  2009.04.11 01:34:38   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
明日から洛陽にいきます。
牡丹を描きにいきます。
ネットはできると思います。
街を歩きながら(;´ Д ')ハァハァしてしまうかもしれない。
だって、はじめて、中国史上最愛の集団の本拠地のひとつであった場所に行けるから。
牡丹が描きたくて決めたことですが、雨の日のための博物館の下調べをしていたら、そういう場所だったということを思い出しました。
正直、「内陸の田舎の都市にいくと、面倒なことが多そうでヤダなあ」と思っていました。こんな風に、中国の熱気にあてられて、不感症になっていた自分の心が、久々に荀、もとい、純な気持ちになっています。
こういうオタクな気持ちは、大事にしなければなりません。
中国暮らしは長いくせに、敵国ばかりに暮らしていて(成都=蜀、杭州=呉)、その間にスレてしまい、自分が何を愛していたのか、忘れていました。
人として、悲しいことです。
やっぱり、「蓋文章經國之大業. 不朽之盛事」なんです。忘れてはいけません。
文人のルーツがそこで生まれたのです。
うちの先生は、幼い頃、お父さんにセンヒキで手が青あざだらけになるまでしばかれながら、絵を学んでいたそうですが、そういったスパルタな日々のある夜、夢に潘天寿がでて来て、「うん、線はこうやってひくモノだ」と教えてくれたそうです。
私たちにも、夢にそういうことがでてくるくらい絵を描けと言います。
私も腱鞘炎で鉛筆が持てないくらいに牡丹を描きまくったら、加山又造先生が夢にでて来てくれるのでしょうか?
ここここにちいさなスケッチをのせたので、よろしければみてやってください。
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  2009.04.15 00:00:00   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
  • 牡丹がとてもきれいで感動
    12:20 AM Apr 14th from TwitterPod
  • SL230のエンジンがかかりにくい時はキャブのガスを抜く。そうしないとバッテリーが死ぬ。乗らない時は、キャブのガスを抜く。
    1:56 AM Apr 10th from web
  • @Hanliinter 哎呀,我写错了,日文的“露西亜”应该是中文的“俄罗斯”。还有法国也是,日文是“佛国”。意大利是”伊国“。真有意思的文化多样性。
    5:46 PM Apr 5th from web
  • @Hanliinter 北朝鲜和韩国是同胞,我认识的在日北朝鲜和韩国人的民间关系还好。他们还在战争,可是内心还是原来一样地的和平性统一。我以为北朝鲜的主要目标是US。
    5:41 PM Apr 5th from web
  • RT : 萩原朔太郎が、大和言葉によっては決して革命は起らない、明治の改革は実に幕末志士の漢文学からなされたhttp://elberfeld1979.spaces...!5E78FCC616910539!773.entry
    5:11 PM Apr 5th from web
  • RT : 協力隊に付きまとう「ボランティア」という単語をすべて削除し、途上国における「(実践)開発協力研修」という名目に変えたらどうかhttp://zimbanet.jocv.net/01...
    3:05 PM Apr 5th from web
  • 今日、バスに乗ったら、バスが故障して止まった。バスを替えるために降りたら、後ろのバスも故障して立ち往生していた。タクシーに乗ったら、ラジオで投身自殺の実況をしていた。
    2:42 AM Apr 5th from web
  • 我希望这几天的那里的下雨下得厉害。那样,可能他们的“卫星”不能发射,而且农业有更多帮助。
    2:40 AM Apr 5th from web
  • @Hanliinter 他们的火箭向我们日本、露国和美国的方向。不是中国和韩国的方向。隔壁住在一个危险的人物,这个人常常发生问题,特别他对我的房间向着很大的鞭炮,而且要马上点火。当然是紧张。
    2:34 AM Apr 5th from web
  • @doubleaf 你的日语还是很好。我是日本留学生,在杭州。
    2:33 AM Apr 5th from web in reply to doubleaf
  • 大事なものは「文化のような論理化できない経験の積み重ね」
    2:14 AM Apr 5th from web
  • 草木皆兵、中国の四文字熟語。ヤバい時に臆病になって、疑心暗鬼になって、何でも敵に見えてしまうこと。発射の誤報は連絡系統に問題があった模様。なにか構造的な問題があるのかも。
    12:51 PM Apr 4th from web
  • @doubleaf 我知道他们搞错了。好像他们很紧张。可是我放心重要的警报这样公开,以前不是这样。我查词典,成语的意思才知道。这非常好用。谢谢您。
    12:41 PM Apr 4th from web in reply to doubleaf
  • @doubleaf 请问,“日本草木皆兵”是什么意思?
    12:20 PM Apr 4th from web in reply to doubleaf
  • @kazusekiya アメリカから買うとそんなに安いんですね;2008年後期モデルの15inの8GB安定動作はまだ私は聞いたことが無いので、とりあえずSnow Leopard待ちです。
    10:41 AM Apr 4th from web in reply to kazusekiya
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  2009.04.16 00:59:25   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
洛陽 牡丹
道成寺 』と『雨がやんだら 』と『妖魅変成夜話 』があわさったような日本のアニメを見た。
わたしは、今、洛陽という中国の内陸の田舎都市にいる。
仮の宿である部屋に盗盤がいっぱい置いてあり、日本の法が及ばない場所であるので、とりあえずみてみた。
洛陽は中国の古い古い都で、でも、今は、やたら呼吸器や皮膚病の診療所が街中に多くて、空には薄い朱土色の土ぼこりが飛び交い、いつもかすんでいて、石炭が燃えるニオイの漂う、乾燥した発展途上のアンバランスな都市である。今日、バス停で降りそこなって、道を歩いていたら、杭州にも2店舗ある銀泰という香港資本の百貨店の建築工事現場の前を通りがかった。
あそこに並ぶような商品を買えるような人が、いまの洛陽に何人いるのだろう?
さて、かのアニメを見たとき、初っ端から号泣。
妹とトトロを映画館で見たとき、トトロが木をでかくするとこで二人して意味なく号泣したという繊細な感性を持っているから、仕方ないかも知れないが、こんなカラカラな場所で、この季節に、あんなモノ見せられたらたまんない。
毎年、春分の後の大潮の日からお盆の前まで、年に何回かづつ磯にいっていた。
潮はまだ冷たいけど、潮溜まりは暖かいし、ボディボード用のスーツを着れば、一時間ぐらいは素潜りで遊んでいられる。
毎年いっているので、どこに何が隠れていて、潮がどこを通って、どこが深くなっていて、どこにビーチグラスがいっぱいたまっていて……とか、ほとんどそらでおぼえている。いまだって、こんなとこにいても、匂い付きで頭の中で再生できる。
カジメの間を小さなサメが泳いでいたり、メジナの群れが潮目から岩の隙間に逃げて来たり、水面すれすれをボラがたくさん泳いでいたり、ゴンズイ玉をみつけて逃げたり、いろんな軟体動物をつついたり……それでも、一番最後にいったときは、磯がずいぶん枯れていて、海藻も生き物もずいぶん少なくなっていて寂しかった。あの映画の最初の地引き網のシーンみたく、本当にゴミがいっぱい海底に沈んでいた。
珊瑚は無いけど、本州の太平洋側の磯だって、とても美しいものだ。
珊瑚礁と同じくらい遺伝子の多様性を確保していて、人間の生活に貢献している。
懐かしくて、豊かな、わたしの心のふるさとのひとつだ。
でも、わたしは、今、乾いた異郷の地にいる。
高校生の時は、行きたくて行きたくて、本当にもだえ苦しむほどだった。
でも、もう、「そういう中国が好き」なんて、嘘でも言えない。
花も、予備校の時には五月になる度に芍薬を描いていて、「牡丹という美しい花がこの世にあって、それはこの芍薬よりも、もっとゴージャスでいいものだ」と聞かされていたので、いつか本当に飽きるほど描きたくてたまらなくて、そして今、すこし飽きている。
日本では、芍薬は500円も出せば立派な切り花が買えるし、切り花のでも絵になるけど、牡丹は最低でも鉢植えだし、絵に描くなら、やはり地面に生えている木の方が、枝振りや花のつき方が面白い。
洛陽で牡丹を描くのは、武徳殿で剣道をしたり、甲子園で野球をしたりするくらい、すごいことだ。……疲れているからだと思う。日焼けして、手首から先が黒い手袋をはめてるみたいになった。
ひとりでテンションとモチベーションを維持するのって、今までは気が付かなかったけど、ものすごい特殊なことだ。早く寝て、明日も頑張ろう。
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  2009.04.18 00:18:59   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
だめだと分っていても、ついついのぞきたくなるのが観光地のお土産屋ストリートの骨董屋?です。
ろくなものが無いのはわかりきっているのですが、のぞかないではおれません。
そんな気持ちが引き起こした、トラブルについて書きます。
事なきを得てなんでもなかったのですが、これから、中国の観光地は外国人が減って中国人ばかりになり、少ない外国人がよりカモにされることが増えてくるかもしれません。
洛陽の白馬寺の前は、お土産屋に混じってあやしげな骨董屋や玉石の店がたくさんある。
そこには、骨董ではないけど、ごてごてした彫り物がされた何の石かわからない硯も置いてある。
もちろん、お土産もので、使い物にならない硯だ。80~100元くらいの値段が付けられている。
私は、ある店で、バスを待つ空き時間に、何の気なしに陳列されていた硯の彫刻ごってりの蓋を取って、中の硯がどんなものかみていた。
蓋を戻すとき、カタン、と小さな音がしたと思う。
普段なら両手で見て、そっと元に戻すけれども、「やっぱり……こんなもんだ」と思ったのがつい動作に出てしまった。
それからスッと店を出て、隣の店も冷やかそうと思ったその矢先、店番の女店員が血相を変えて出て来て、私の上着を引っ張って、いきなり大声で、「硯の蓋が欠けた!」といった。
瞬間、「やられた」と思った。
ぼーっとしてる女一人旅で、身なりも(中国にしては)悪くないし、もしかしたら、となりの店で地図を買った時に、財布の中身をのぞかれてたかも知れない。
女店員は、米粒くらいの石のうすい欠片をとって、「お前がたった今これを欠けさせた」と言いがかりをつけて来た。よく見ると、そこには女店員が指摘した場所以外にも、欠けている場所が2カ所もあったし、私がやったとされている場所だって、手ずれしている。こういう場所は、なんかの角にぶつかった時に欠けるので、蓋を置いたくらいであんな風には欠けない。
女店員が指につけてる欠片も、すこし大きくて怪しい。
私の方は、「やっていない」の一点張りで、特に何も言わず、ひとしきり怒鳴らせた後、「じゃ、警察に話を付けてもらう」と、私は携帯で110した。
今までに、何度も盗難届けや喧嘩の通報で警察のお世話になっているし、観光地だからすぐ来てくれる、と思った。
中国の警察の人は、こっちが悪いことをしていなければ、果断で紳士的に仕事をする。
万が一、警察がむこうの味方になったって、最悪、日本円で多くても2000円程度払えばいいのだし、どうしても腑に落ちなかったら領事館か大使館に電話すればいい。
中国で携帯電話を持っている人は、自分の学校などの身元引受にあたる場所と、大使館と領事館の番号をメモリーにいれておくべき。
日本大使館所在地及び業務時間のご案内 海外安全ホームページ : 中華人民共和国
ともかく、私の味方になる人は誰もいないのだから、警察に電話するしかない。
警察に電話すると、女店員は急にトーンダウンした。
まさか、本当にかけると思わなかったのだろう。
それでも、まだ私にぶつぶついっている。警察が店の場所が分からず、折り返し電話をかけて来てくれたけど、私も分らないので、その女店員にかわって場所をいってもらった。
そのついでに、まだ警察に私が悪いと主張していた。
店先をすこしはなれて隣の店先をみたりすると、ムキになって私の服を引っ張って、乱暴。
警察の人は、私服と制服の3人の男性の警官が来てくれた。
110番の受付は、きれいな普通話の女性だった。
警察の人は、まず、モノを確かめ、私に「落としたんじゃないんだろ」と聞いた。
私は「落としてない」といい、女店員も無言でそれを認めた。
「とりあえず、店の話からきこう」と警察の人はいった。
警察は隣の店から、見る目がありそうなおじいさんをつれて来て、欠片をあわせてみたりした。
警察の人が「欠片があわないぞ」といって、おじいさんに見せると、おじいさんは手元が危なくて、欠片を落として、踏んで、なくしてしまった。
警察の人が、他の2カ所の欠けている場所を見比べて、私を見ると、手を振って追い出すように、「もういい。早く行け、いいから早く行け」と言った。
女店員はとても不服そうに、大きな声で抗議しはじめた。でも、警察はそれにとりあわず、「もういい、いってください」といったので、私は厚くお礼をいって、その場を去った。
その後どうなるか、警察の人は私に見せたくなかったのだろう。
私はそれからすぐにバスに乗って、白馬寺をあとにした。
白馬寺の牡丹園は小さいけど、枝振りがきれいな牡丹が多くて、手入れがよくていい印象だったのになー。
ともかく、骨董やお土産物屋でモノに触る時は、慎重にしなくてはいけないし、音を立てないように、両手で扱うべきだ。いかなる時も、どんなモノにも、文化財の扱いをふまえた上で、敬意や注意を忘れてはならないと、強く思った。
すごく、いい教訓になった。
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