2009.06.26 15:12:42   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
先日、陈佩秋先生が、美院に講演に来られた。
陈佩秋先生は高名な画家であると同時に、宋代の絵画について、非常に高い見識を持っておられる。
そして、女性である。
講演の司会は、日本で言う芸学の先生の、毛建波先生で、講演の最初に「女性ではあっても「女士」とはよばず、学術の世界の慣例上、「先生」と呼ばせていただきます」とことわられた。
陈佩秋先生は美院の卒業生であり、気骨の感じられる話し方をされていた。
自分の説を述べるたびに、隣の毛建波先生に「あなたのお考えは?」と、話をふり、毛建波先生を慌てさせることがたびたびあった。その度に、学生の間から笑いが起こり、また会場のグルーヴ感も強くなっていくのだった。
陈佩秋先生は、古画の鑑定や識別に、画家の手(筆蹟、筆法)を用いることを、画の六法に絡めて話された。
これは、鑑定や美術史だけではなく、画家として自分の作品を制作する時、また教師と言う立場に立つ時に、非常の役立つ一種の「眼力」である。その中国の研究家の眼力は、贋作の疑いをかけられた台北故宮の収蔵品に、アメリカで行われた科学的な調査とほぼ同じ答えを出した。また、巧妙な中国の贋作に対処することにおいて、古い時代の材料で偽造されたものについては、科学的な調査がミスリードな結果を出すことがあり、こうした眼力を養うのは、鑑定や美術史にとって、科学が発達した現代であっても、昔とかわらない重要性を持つ。
眼が先に高くなると、手の進歩が難しくなることはままあるが、本当の「眼力」を身につけることができたら、自分の絵の問題点がわかるようになるし、手に「もっとこうすべき」という指令を送ることができる。だから、見識を高めることを重んずる中国画は、非常に実践的であると言える。そのために、私たちはきわめて実用的に画論を学ぶ。
模写や名作を見ることを人より多く経験して来て、私は、本当に自分の絵が情けなく、創作に臆病になっていたけども、こうした伝統的な教育に揉まれて来て、絵画で心意を表現することの面白さ、快感、安らぎを感じられるようになったと思う。
特に、蘭や竹を描く時に、それをとても強く感じる。
美院はカオスなシステムで運営される美術大学だけど、こうして外の様々な先生を招いて、頻繁に特別講座を行うのはとてもよい。短い時間でも非常に多くのことを学ぶことができる。
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