何気なく見た映画だったけど、本当に良かったです。
テーマや、脚本、監督の言いたい中身以前に、この映画はドアを開ける音、車のつや、人々の食べ物、家のしつらい、人間が立てる様々な物音、生活感をとても繊細につくりこんであって、素晴らしいと思いました。作品として、非常に出来がいいと思います。

映画と全然関係ないけど、上海博物館の中国の青銅器
たぶん、モン族の古代の歴史と関わりのある品かもしれない。
この映画にでてくる、モン族(Hmong people)は、
ミャオ族(苗族)のことです。
ミャオ族(苗族)と言う言い方は、中国では一般的ですが、中国人からの呼び名なので、モン族の人たちは、モン族と言う呼び名でよんでもらいたいようです。
この映画は様々なことを語っています。
クリント・イーストウッドのかっこよさや芸術性以外にも、人と人の、縦と横のつながりについて、せつなく、ときに無邪気で軽妙なユーモアを交えて描いています。
私が一番感動したことを言うと、ネタバレになるので書きませんが、「みんなが見ている」という力は、目に見えなく、一見無力であるかもしれないけど、すごい力になるのだと考え直すことができました。
世界には少数民族や、大きな国の巨大な力について、悲惨なニュースばかりあるけれども、何もできないように見えて、それを知ることは、無言の大きな力となって、何かの契機になるだろうと、再び信じることができるようになりました。
知ることの力は大きい。だからこそ、この国で今日もYouTubeがみられないんだ。
私だけかもしれないけど、『
戦場のメリークリスマス
』と同じ感覚を、見た後に受けました。
私たちを隔てているものはなんなのだろう?
老と若、肌の色、文化、豊かか貧しいか。敵か味方か。
でも、それにどんな意味があるのだろう。
そして、この映画がもうひとつ表現していることがあると思った。
自分の大切な物は、自分で行動を起こさないと守れない。
それはモノだけでなく、自尊心だったり、自分自身の未来だったり。
この映画に出てくる、迷える子羊である様々な不良少年も、兄や父親、メンターとして、彼らを導いて希望を託すことのできる、立派な男が近くにいたら良かったのに。