2009.04.05 01:30:16   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
私の先生は、声もお姿も伊集院光によく似ていて、アグレッシブで物知りで、物まねも上手で、話の運び方もとても聞きやすく面白い。そんな先生と3年生2名と、夜に近所のホテルのサロンで待ち合わせし、その場でお茶を飲みながら、またまたこってりとしぼられ、意気揚々と持っていった白描もメッタ斬りにされ、明日への闘志を新たにしたのでした。
そんな先生の心に刺さったコトバのいくつか。
日本人の書って、なんか中国の理論系の人の書と似た雰囲気を感じる。なんでだろ?
私も、なぜ、日本で学んだ日本人の書と、中国人の書が違う感じを持つのか気になっていました。
日本って文化もそれなりにあって、立派な書家とか画家とかいるのになんで、日本人の画家の絵は题跋が少ないのだろうね?
私の答えた理由は、中世以降の文化の担い手は文官でなく武官であったため、「文人」の方へ絵画藝術が傾いていかなかったのでは?ということだった。それから、日本に科挙と言うシステムが無く、武官が文官を兼任し、士農工商と武士社会のシステムについて、中国語で話さなかればならなかった。
同じ時に3年生の先輩が北宋風のたいへん上品な絹本の絵を持って来ていて、また最近のひとり源氏ブームを鑑みると、紫式部や空海、はたまた飛鳥白鳳の人々の憧れた「中国」というものについて、もっとまじめに深く勉強していかなければと思うようになった。
先生は、日本と中国がそのように分かれた理由で論文を書けば?なんて言ったけど、これは私の専門外だし、狩野派は私の手には余る問題なので、私が中国に興味を持ったもっとも最初の理由の、「飛鳥、奈良、平安のひとびとが憧れた中国」というもの、すなわち六朝唐宋について、忘れてしまった部分も含めて、地の利を生かして充分に復習しなければと思った。
それがあってこその、元明清なのだし。
社会のシステムが創作活動の根幹に与えた影響については、これはいかにも中国的なマクロな視点ではあるけれども、理論系の皆さんが研究すべき分野だと思う。
私の専門はナノな技法材料……。
しかし、実際、徽宗の時代が日本の歴史にとっても、絵画史にとっても岐路であったのだと思う。詞書のある絵巻とか、装飾料紙とか構成的には「题跋のある絵」といってもおかしくないけど、その後は禅宗系以外には字にも心を傾けて画面構成している絵画はあまり無いのではないだろうか?でも、「题跋のある絵」が表に出て来たのって、中国では宋の時代より後だもんな……絵因果経みたいな仏教系の絵解きが、「絵と字がいっしょでもいいんじゃないの?」っていう下地を作り、それをいち早く消化したのが日本で、ゆっくり寝かせて「文人画」にまで変成させたのが中国なのかな。理論とか弱いし、半端者だから、良く分らないけど。
個人的には絵は絵で見せたいと思うので、自分の絵は、题跋も名前もハンコもない、昔の名画のような画家の存在が消えてる感じを目指しています。でも、ちゃんと書道も篆刻も勉強します。(う〜んと、それって「個の表現」方法の差でもあるのかな。日本画が時としてダイナミックなまでの色彩と斬新な表現を用いて「個の表現」するのに対して、中国画は伝統に則ったスタイルで「個の表現」をするために题跋を必要としたのかな?揚州八怪が「怪」であるのは、そういう伝統から逸脱して個を表現したところに「怪」があるのかな?先生は、近現代の日本画に時として「怪味」を感じると言ってたし。そこで出現した漫画、劇画ってのも、鬼子だよね……)
絵の修行には二段階ある。「描けるか描けないか」、そして「美しいモノを見つけられるか、美しく描けるか」だ。お前はもう後者の段階なんだから、こんなのじゃだめ。
そういうわけで、一発描きの万年筆をしばらく置いて、鉛筆でじっくりと描く(でも消さない)冩生に立ち返り、もう一度素直な目で自然を見つめ直すことにします。もう多少、もとの自分の日本画的なスケッチに戻っても、それが自分なのだから気にしない。それよりも植物の構成のクオリティをあげていくことが緊急課題だ。「枝や葉の交差」が、予備校の時の「ガラスの透明感と抵抗感を同時に表現する」ような、表現上の基礎だけど、とても重要なシビアな問題になってきている。美院の先生がいいところは、そういう基礎の基礎を、予備校以上の深いこだわりで追求してくるところだ。高度に抽象的な問題にも拘ると同時に、いつでもそういう基礎の部分について、遠慮なく指導してくれるのがよい。
この日は、先生はほかにも絹本上の白の表現についてなど、とても深く役に立つ話を、まじめにそして面白くしてくださった。先生は教室での大勢での講義をあまり好まないと言うのは、良い雰囲気で、その学生にあった指導をみっちりしたいからなのだと思う。
先生は私がいくら厳しいことを言ってもめげないとよくお分りになられたので、もう、まったく「很好」なんて言いません;
とにかく手を動かすこと。
Posted by KUTSUNA HIROMI | Permalink | comment (2) | trackback (0) | Comment by Twitter
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こんにちは、しんぷる三国志辞書のホームページ(http://homepage.mac.com/ginka/index.html)でここを見っかった( ´┏_⊃┓`)ノ ニィハォ
お恥ずかしながら、中国人なのに三国時代についてはあまり詳しくない・゚・ ((/ω?*))・゚・イヤン…
今宇都宮大学で留学中(これから一年生なんですけど)、よろしくねヽ(゚∀゚)ノ ワッショイ

Comment by lovee @ 2009.04.07 20:30:10 PM

Comment

はじめまして。
がんばって日本語や日本の社会のことを勉強してくださいね。

我希望你努力地学?日文和日本社会。上大学的?候,不管中文或者日文,??多一点看看?。
尤其,最重要的是,要?得起父母,注意自己健康。

Comment by Hiromi @ 2009.04.08 00:02:10 AM

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