明日はおばあちゃんの命日だ。
今まで、私と関係の強い3人の家族と、6匹の猫と2匹の犬と、2匹のうさぎと、3匹のハムスターと、2人の同級生と、4人の先輩が、旅立った。近所や親戚の人たち、学校の先生など訃報を聞いて悲しくなることも少なくない。
再来年には、私は父親の年齢を超えてしまう。
人の命は短いものだし、ペットのそれは、もっとはかない。
最近は、自分や家族の健康に注意するだけではなく、子猫にも「長生きできるように」と食事や運動に気を遣ったりしてしまう。
話を戻すと、おばあちゃんは、正確には曾祖母で、私にとっては、幼い時には母親がわり、少女時代には厳しい教育係でもあった。私の性格やモノの考え方の大部分は、曾祖母のものを受け継いでいると思われる。
曾祖母がなくなって2年たち、それでもよくおばあちゃんのことを思い出すし、今でもとても会いたいと思う。学校の課題で大量の書の臨模が出たので、供養をかねて敦煌文書の写経等を暇を見つけてやっている。現実的は、もう会えないんだろうけど、でも何故かまだどこかにいる気がしてならない。そんな感じが、私の仏教への関心に繋がっているのかもしれない。
中国や東京の学校、山梨に行ったのは私の人生として仕方のないことなのだけど、本当にもっと近くにいて一緒に畑仕事とかしたかった。
最近思うのは、おばあちゃんが若い時に奉公にあがっていたお屋敷の方の関係者の方にお会いしてみたいということだ。おばあちゃんが私をしつける時に、よくその時の思い出話を例に出していた。お会いして、当時のお屋敷があった場所などを歩いてみたい。
正確に誰とは分らないけど「宮様のご学友で、学習院を出られたあと判事になられた方」のお屋敷で働いていたと、よく昔話に言っていた。宮様のお名前もわかるし、多分、しかるべき場所に名簿等が残っていると思うので、手を尽くせばその方を探せると思う。
田舎の普通の農家の娘だった曾祖母は、若いときは評判の美人で(残念ながら母にも私にもそれは遺伝していない)、東京に行儀見習いを兼ねて奉公にいったのだという。もう事情を知る人は生きていないかも知れないけど、日本に帰ったら、おばあちゃんがどんな人生を歩んだのか、いろいろな人に改めて話を聞いてみたいと思う。