三年生の先輩と模写について議論してしまった。
彼が言うには、「模写をすることで、権威のある様式を身につけられる。模写を重ねて代々の画風を身につけ、絵を学ぶことで、伝統を受け継ぐ中国画家になることができ、世の中が認めるような絵が描ける」と。
私は、(日本の文化財保存の模写は置いといて)模写をするのは、古人の技法材料的な工夫を研究するため、高度な筆遣いを身を以てトレースしていくことで、自分の技術を高めるため、目と腕を連動させて古人の制作過程を追うことで自分の美的センスを高めるため、と思っていた。それが「権威ある様式」や「人々の目に慣れた画風を身につけること」と言われてしまえば、身も蓋もないけど、先輩の意見は、私の考える「画家」とか「創造性」とはけっこう離れている気がする。
模写もかなり重視してるけど、その倍の量の写生を課題として出し、生物の骨格や構造にもうるさい、私たちの先生ともまた違う考えなのではと思う。
ただ、先輩のような考え方をしている人も少なくないのかもしれない。
確かに、模写は敬意の伴うリバース・エンジニアリングと言う一面もある。ただ、中国画はKunstが強い芸術だと思うので、様式ではなく、技術と自分の情動と連動させることに着目した方がいいのかなと思う。それだから、教養を身につけて、自分の情動を洗練させることもまた重要な訳で。

杭州も花見は無いけど桜が咲く
そうしてなんだか話がもつれて、日本と中国の違いの話になり、結局は経済のこととなり「みんなお金持ってるから」みたいなことを言われる。
問題はお金じゃないんだけど、結局、分母が多すぎるとまわるものがまわらなくなるから、考え方とか文化とかいろいろ言っても、「経済」が状況を支配してしまっているのだろう。
……しかし、都市部に限って言えば、ほんとに中国の人の方がお金持ってるし、しっかり貯めてるし、お金持ちの数が多いのは中国だと思う。特に杭州は、中の上あたりは本当に豪快にお金を使っている。
物価だって、日本の方が安いもの多い。着道楽の杭州人は日本より高価な服を楽しんで消費している。
もちろん、農村のことも忘れてない。そしてそれを話しだすと、なんだか泥沼な方向に話がいくので、私の不自由な中国語では避けたいところだったけど、引きずり込まれてしまった。
「生まれながらの差」「職業の貴賎」の話となり、なんだかもう、何が言いたいのか分らなくなる。
結局、お茶を濁してしまったけど、後でゆっくり考えたのは、「ヒトとして"同じヒトだね"って感覚」の範囲が彼と私ではずいぶん違い、そしてまた、「線を引くことで実は引いた自分も"線の向こう側のヒト"になってしまう」という自覚が有るか無いかなんだろうな……とがっくりきた。
もっとも、そうでもしなければ生きてこられないし、それが彼の「時代の教育」だったのだろう。先輩は私よりも上の世代だ。
25才前後の若い私の同級生は、伝統と現代と自分の創作について、肩肘張らないで、もっと楽しんで取り組んでいるように思う。
自分自身を画家として育て上げることについても、彼の環境では失敗も足踏みも試行錯誤も、ほとんどできる余地がなかったのだろう。
私みたいに、予備校では一度も上位に食い込めず、大学でもふるわず、院ではみんなに迷惑をかけ、それでもこうして何度目かのチャンスをもらえることなんて、あり得ないのだろう。
気持ちだけじゃ画家になれない厳しい現実が、そこにある。
家族も自分自身もご飯を食べないと生きていけないし、絵も描けない。
メンツも保たなくちゃいけない。
いままで、未完成で下手でも、自分の心の命じるようにしか描けず、笑われても、それが自分の創意工夫と、天然であれたけど、ここでそのようにするには、心臓に毛が生えてるか、異人(
赤坂憲雄
的な意味で)を自覚してるか、自分を天才だと思えてるかでないとやっていけないのだろうと思った。
「留学生だから変わってても仕方ない」という空気に、いまは潔く甘えさせてもらって頑張ろう。