2008.12.15 15:36:01   このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
四川大学のときに、本当に毎日机を並べて勉強していた、チェコ人のとても良い友達に少し早いクリスマスプレゼントを贈った。
彼とはチベット高原の東の端を一緒に旅し、かけがえの無い時を一緒に過ごした。男と女で、10歳以上もむこうが若く、言葉も、文化も違い、考え方もいろいろ違った。でも、本当に良い友達で、こうして離れてる今もお互いの消息をやり取りして、夢を語っている。
また、去年一年間だけ杭州に留学していたチェコ人の女の子とも、とてもいい友達になり、彼女にもプレゼントを贈った。彼ら二人に日本の抹茶の味を、どうしても試してもらいたかったから。
私は、彼女によって、はじめてカトゥーシーというものを生でみることができた。
カトゥーシーは西洋の淑女の礼法のひとつで、とてもチャーミングで上品な動作だ。日本では女性の皇族方が、外国からの高貴なお客様をもてなすときに、ニュース等でみることができる。
彼女は、作品もかわいくて知的でエレガントだった。またいつか彼女と彼女の作品にあいたい。
……さて、例によって、日本ではあまり報道されていなようだけど、中国の知識人が共同で、北京である発表をしました。
そして、その彼らの行動の手本になっているのが、チェコのCharta 77です。中国に少しでも関心がある人なら、読んでおくべき内容です。
今度のは、いままでの小さなのとは、違う気がします……。これがすぐ大きなことにつながりはしないと思うけど、外国人として、中国を正しく理解するためにも知っておく価値はあると思います。
さて、その最初のチェコの青年から、昨日届いたメールに、こんなことが書いてあった。
"Are we more free when we are aware of our fate
(and possible restrictions it imposes on us) or
when we are not aware of any fate and any restrictions?" or "Does the freedom mean that we can do whatever we want or that we do only we think we should do?"
これは、彼が次の学期に教壇に立つ時のテーマにするため、いまからいろいろ準備している内容なのだと言う。彼は中国哲学の研究者(もう学生じゃない)だ。
なんだか、とてもタイムリーな言葉だ。しかも、チェコから。
私は最近、何となく、文化、とくに伝統文化は、個人の芸術を大いに高めることはできるが、同時に、その個人を制限するものである、ということを考えている。しかし、基礎の無い人間は、他の人と多くのものを共有することは難しい。
まず、自分の腕を自在に動かせるようにならなくては。
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