最近のマイブーム。
書
ロシアン・アールデコとロシアの民芸
ロシアについては日を改めて書くとして、書が面白くてたまらないです。いろんな意味で。
今やってるのは、峄山刻石と楽毅論。篆書を書いてつかれたら小楷をやって、小楷で肩が凝ったら絵をやって、絵がうまくいかなくて、飽きたら篆書を書いて……のローテーション。
自分はなんとなく唐より後の書があまり好きでなく、まだ一度も臨書したことがないです。曹全碑→蘭亭序→峄山刻石→楽毅論。って、ちょっとかわった勉強のやりかたです。なんとなく、そのときの巡り合わせでそのような選択肢になりました。
峄山刻石と楽毅論は真筆でなく後の時代の複製の拓本なのですが(峄山刻石のオリジナルは曹操が烏桓北伐のときにブッ壊した)、それでもよく古風を残していて、たくさんの人に学ばれています。
その、書自体にも学ぶもの、感じるとこは多いのですが、峄山刻石の作者は、あの李斯。そして、この書の中に出てくる「皇帝」は始皇帝。
習いはじめのとき、まったくうまく書けなくて、「皇帝」ばかりを何十回とかきましたが、はっと我にかえって、真夜中のアトリエでひとりきり、床に広げられた自分の字をながめて、始皇帝がこんなにいっぱいと思うと、先輩のインコが「ギャッギャ」と鳴いているのが、始皇帝が文句を言っているように聞こえたりするのでした。
二千年以上の時を超えて、李斯の書を真剣に学ぶとき、その丞相の息づかいや腕のはこびをおもい、そして史記の中に記された彼の行いや人となりが思い浮かんでくるのです。萌え(この期に及んでまだ言うか)を通り越して、空気のにおいが変わるような不思議な感じを覚えます。もっとその時の、この書が書かれた時の空気に近づきたい。
楽毅論は、日本画を勉強した私にとって、実はとても身近な作品です。学校のときに「絵因果経」を模写しましたが、下半分のお経の部分の書体と、この楽毅論の書体はとても近い時代のものです。
また、正倉院には光明皇后の御臨(自分が今やってるのと違う系統の模本らしい)があり、私が中学の美術の先生として、修学旅行の予習プリントを作ったときに、聖武天皇の御臨とならべて紹介したりとかしました(本当に字に性格がよく出ています)。
書の内容の原作は魏の夏侯玄。彼がどのような人生を送ったかは知る人ぞ知るとして、王羲之が蘭亭序を書いた時の気持ちにこの楽毅論がリンクするような気がする。
三人の男の悲憤と、一人の高貴なる女性の撓やかで勝ち気な筆遣いの、何重ものイメージがこの書を書くときに思い浮かんでくる。
それでなくても、この古風な楷書は小さい中にも、無限の変化があって、とても面白い。古風な感じを大切に、ゆっくりとその変化を写し取っていくと、時間が流れるのを本当に忘れてしまう。
夜中、アトリエにひとり、好きな書のお手本、墨の麝香、チベット香の薬草の芳香、竹紙の柔らかい香り、熱い武夷肉桂の湯気、窓の下には猫の恋なき、たまにインコの声、目の前には蘭の鉢……こんな贅沢な時間をまとまって持てるのは、本当に幸せなことです。