中国では9月10日が教师节という、先生に感謝する日になっている。
その日、私たちの研究室は、大华饭店という西湖のそばのホテルの中国式レストランの、西湖の夜景がきれいに見渡せるお部屋で、先生を请客した。
最初、私は韓国人の先輩の留学生から、教师节に先生に请客する話を聞いていたが、いざ中国人の同級生に聞いてみると、誰も知らないということになり、少しもめたが、私の同級生の将来有望な男の子が何とかしてくれて、宴会を和やかに開く運びとなった。
結果として、先生との交流が深まり、先生がより遠慮なく私たちを叱ってくれるようになり、先生も普段口にしない芸術論を縦横に話し、昨今の美院の風潮に対する批判なども聞けて、とてもよかった。
個人的には、修論の方向について、しっかりと研究方針と指導方針について合意がとれ、激励され、前向きになることができた。これは、山水の日本人留学生の方からのアドバイスが大きく働いている。前日に彼女からアドバイスをもらっていなかったら、先生を失望させるところだった。
ホテルで大いに騒ぐわけにも行かず、その後は、海鮮バーベキューのビアガーデンみたいなところに行って、さらに痛飲した。 シャコやエビをバリバリたべながら、担当教授の卢老师と花鳥の主任教授の田老师が放談し、学生をしかりつけ、また先生どうして肩を組み昔の思い出を語るなど、とても気楽で有意義な二次会になった。
今学期は、芥子園画伝の蘭の描画と石濤の蘭の研究、野外で長巻写生、摸写、創作の予定。二年生は自分でカリキュラムを作り、先生にチェックとアドバイスをもらう。
蘭の描画には、全ての植物の描画、構図やモノの配置のエッセンスが詰まっていて、さらには気品や清雅な風格を身につけるのに最適な課題なのだと、私は考えている(一般的に花鳥の修練には四君子と小楷が不可欠であると言われている)。しかしこの美院ですら若いうちからこれに真剣に取り組む画家は、とても少ないと先生に言われた。そして、いくらがんばっても、うまくかけない、作品にしにくいとても難しい画題だと言われた。しかし、私が上記のような理由を話すと、ならばやれ!といわれて、まず生きた蘭を買ってきて目の前に置くこと、芥子園画伝を研究し、石濤の蘭に学ぶことを言い渡された。これはうまく描ける描けないの問題ではなく、やるか、やらないかの問題で、ある程度筆が持てるようになった今、中国にいるこの時に始めないと、一生まなびはじめることができないだろう。
幸い、芥子園画伝の小杉放庵註釈の和装本を神田の古本屋でそろえて、中国に持ってきていたので、たすかったし、蘭の様子のいいのが、学校の近くの花鳥市場で鉢を選んで植え込んでもらって、48元で買うことができた。
蘭を描くのは、私にとって、剣道の素振りのようなものだ。どんな上手な人でも、毎日の稽古は素振りから始める。単純なことをつみかさねて、はじめて自在に剣が持てるようになる。素振りがきちんとできないと、いくら腕力があっても、剣を持つことも、試合を戦うこともできない。よろよろのおじいさんでも、達人の素振りはすごくきれいで無理がない……。
いま、毎日、墨をすり、蘭にむかっています。