訂正:すみません、幅三尺(99cm)のあやまりです、こっちでは幅三尺×六尺で紙を売ってるので、紙屋で「六尺」というと、幅三尺(99cm)の紙を出してくれるので、間違えました。頭煮えてる……
幅三尺(99cm)、長さ(多分)10mの長巻写生をしてます。今日で4日目。
日本産のサクラの黒の顔料ミリペンで、生紙の温州皮紙(幅三尺のものすごい長い巻紙)に花港観魚の芍薬をワーッっと線描で……いまんとこ多分8mくらい描いて、今日の昼に数えてみたら、花が30コ、つぼみが10コくらい有ったような気がする。
花はいくらくしゃくしゃでも、描いてて楽しいけど、葉っぱが死ぬほど苦痛。
すごく苦痛。
マゾなので、葉っぱだけの株を、モワーッと自虐的に描いて、空間を埋めてみたけど、時間かけたわりにはあまり埋まらず、気分が腐って、ギャラリーの観光客に毒を吐いてみたり、花壇に入るアホを怒鳴ってみたりしてしまった。
どうしたら葉っぱが、楽しく描けるのか、これを見ているクリエイターの皆様、日本画の同級生諸君は、ひと言何かコメントしてください。マジでお願いします。
予備校の時から、葉っぱを描くのが嫌いでした。鳥の羽も、魚のうろこも、新聞の文字も、縞々の布も、ドレープも、石膏の頭のくじゃぐじゃも、わりあいと楽しく描けるし、むしろ好きなのに、何故、葉っぱだけが嫌いなのだろう……疎密のバランスとか、曲線の描画とか、平面的なカタチの美と空間の演出をするのに、自分の頭のグラフィックエンジンがメモリ不足で、処理がおいついていないせいだと思う……嫌でも、このままもう20mくらい描いたら、メモリが増えてラクに楽しく描けるようになるのだろうか?がんばれば、来年または再来年は、楽しく芍薬の葉っぱが描けるようになってるのだろうか?……とにかく、お手本のルーチンワーク的な葉っぱは描きたくない。アレを描くくらいなら、自分で苦労してカタチをみつける方を選ぶ。
今学期は、外でなるべく写生をして、雨が降ったら蘭と竹、花が終わったら、あの仙人87人の摸写の2周目をやろうと思う。で、最後の二週くらいは、みんなで摸写室に行って、印刷じゃない模本で摸写をやるっぽい。
全く、作品らしい作品を描いてませんが、低いレベルで自己満足で絵具をムダにするなら、こうやって徹底的に目と腕を鍛える方が楽しいので、今は描きたいイメージがあっても、クロッキー帳で構図をねってるだけで、欲求不満ではないです。もともと、本当にヘタなので、はやく中国人の学生並みに線がひけるようになる方が、大切だと思います。
こないだ中国人で、ムサビで日本画を勉強した方が美院に来られて、明治〜昭和の日本画についての特別講座があって、それを聞きに行った。
やっぱり、日本人が思う日本画と、中国人が思う日本画は違うと思った。よく知らない優れた画家の絵を知ることができたり、違った角度で日本画を見つめ直して、勉強になった反面、中国の人が日本画を語る危険を感じた。
それを知ってか知らずか、うちの花鳥の先輩や同級生は誰も聞きに来なかった。それはある意味、美院の学生として正しいと思った。中国で文人の伝統を受け継ぐ唯一の国立大学の国画系は、純粋に伝統を墨守してこそ、私のような外国人が学ぶ価値があるのだ。
日本画や日本文化は、metamorphoseとcontaminationを繰り返しても、何故か本質は変わらないし、それが特徴であるとも言えるので、むしろ淫乱なくらい積極的に好き放題やるべきだと思う。
私は、例えどんな材料を使っていても、日本人が描くのが日本画、中国人が描くのが中国画だと思うので、私に中国人になる覚悟が無い限り、私は中国画を勉強していろんなことを吸収して技術を高めることはできても、中国画は描けないと思う。(自分の先生も、そんなスタンスで、時におおらかに、時に対中国人より遠慮なく厳しく指導してくれてるので、すごくラクだ。課題は容赦ない量だけど……)これは、同様のことが、その中国の方にも言えると思う。
私は正直、日本画を説明するのに「岩彩画」というのは、好きじゃない。日本画のミソは、ニカワでも岩絵具でもなくて、絵具で光を操ることにあると思うから、あんま即物的なネーミングはあわないと思う。太陽の光を操るのだから、このまんま日本画でいいじゃん、と思う。
……とりあえず、今は黙々と手を動かすのみ。