みくしのコミュで思うところがあって、ちょっと書いてみたので、である調に清書をしてブログにのせます。
そうじゃないよ、間違ってる、とかいうご意見のある方はコメントにてどうぞ。
私も筋金入りの腐女史ですが、留学で知りあった、暖かくて仲の良い女性同士や男性同士のカップルから色々なことを学ばせてもらいました。少しでも彼女や彼らが住みよい世の中になってくれればと思います。
BL(Boys Love)とは、少年、もしくは青年男性同士の愛を描いた少女向けのライトノベルや漫画、アニメーション等の創作物のことである。
その内容はままファンタジックで、現実の男性の同性愛とは乖離している場合が多い。つまり多くのBLを愛好する少女たちは、BLをファンタジーとして読んでいるのである。
しかし、奇妙なことにそのようなBLを愛好する少女の中には、過剰なまでに現実の同性愛を否定し、拒絶する者が少なくない。
これは何故なのだろうか?
多かれ少なかれ、BLには少女の青い変身願望や愛欲が託されている。
(これは80年代から語り尽くされてきている)
しかし、少女は周囲からも純潔を求められ、自分自身も清い存在であり続けようとする。多くの少女は、その矛盾をやすやすと乗り越えて、大人の女になるが、中にはそうできないものもいる。
家族や教育環境により、自己の生身の変身願望や愛欲を否定され続け、抑圧された少女は、自分自身の愛欲を否定する術しか知らず、受け入れることができない。そして、その生身の衝動や抑圧を物語の世界へと、ファンタジーへと昇華させていく。それがBLなのではないだろうか。もちろん、現実の同性愛にも理解を示し、BLを普遍的な愛情ドラマとして観賞している女性や男性もいることは、忘れてはならない。
BL愛好者が現実の同性愛の人々に拒否感を持つのは、現実の同性愛に対する差別や偏見という以前に、同性愛という愛のカタチが現実に存在するという事実自体が、今までファンタジーとして処理していた自分自身のドロッとした愛欲が現実である、ということを連想させるからではないだろうか。
拒否感を感じているのは、現実の同性愛という愛の形式に対してではなく、ファンタジーの中で男性カップルに投影していた自身の生々しい欲望ということである。この欲望の中には、異性への雌としての欲望だけでなく、少女の同性への欲望、自己愛も含まれている。そのような複雑な欲望が、まさに自分自身のものだということは、彼女達にとって容認しがたい事実なのだ。 しかし、それはどこかで発散や昇華させなければならないものである。
それが現実の同性愛に拒絶反応を示しつつも、BLに陶酔する心理なのではないだろうか。
創作や表現の自由等を考えると、微妙な問題ではあるが、現実の同性愛の傾向をもつ人々にとっては、BLはどちらにしろ、女性にとってのポルノのような、迷惑な創作物である。
せめて、同性への愛が、非日常でファンタジーな「有り得ない」ものではなく、「人間が時として同性も愛するというのは自然なことである」という認識が彼女達にもちゃんとあれば、物語は物語として空想のものであり、一方的に他人の恋愛形式を否定したりすることはなくなるのではないだろうか。
また、彼女達もいつかは母親になる身であり、セクシャリティの多様性について理解を持つべき立場である。
アジア人、とくに日本人は、自分が普通であることにこだわり過ぎている。その普通であるという立場を自分自身で確立するためや、他人に自分が普通だということを示すために、マイノリティへ過剰に拒否反応を示し、口に出して否定する傾向がある。
それは、ともすれば自分自身の持つ多様性を否定することにもなるし、文化や社会システムの進化にとって大きな弊害となることは明らかである。
マイノリティの実情に目をむけ、愛や生活の多様性を偏見なく知ることは、偏見や差別の解消だけでなく、BLをファンタジーとして観賞している少女達にとっては、自分自身の性的情動や自己の存在を肯定的に認知することに繋がるのではないだろうか。
とにかく、ひとのSXEを嗤うなって、ことなのです。例の作品は読んだことないですが。