現在、87人に仙人のうち、だいたい20人くらいは終わりました。(晩唐の3mの白描の画巻「八十七神仙図」を摸写中)
これだけ繊細なことを毎日やってると、今さらながらコツが掴めてきます。今まで人体がメインの摸写を、実はやったことが無かったので(高松塚は龍、頼朝は胸像、絵因果経は山水描写メインの部分、芙蓉に、騎馬武者は馬と鎧)、非常に勉強なります。しかも、年取ってきてるのを痛感してます。
朝は筋肉がまだほぐれてないので、顔なども最も繊細な部分をやると失敗するので、午前中は器物や背景などで指を慣らし、衣紋や飛雲などでアップしていって、夜、指が最も温まってきた時に顔をやります。本当は、ひとりひとり描いていくのがいいのだけど、そんな余裕もなく。
薬指にタコができる筆の持ち方も慣れてきました。ひじの内側の下がまだ筋肉痛になるし、線がまだ少し震える時もあるけど、痺れなくなった。しみじみと、工筆は年ったら描くの辛いなあ
と思っています。だから、ここにいるうちに写意のコツを学べるだけ学んでおいて、年取っても齐白石みたく自在な表現が出来るように今のうちから、いろいろ鍛えとく。
しかし、これだけ描いてても、一日が短くて、時間が足りません。しかも何かあると、すぐ半日潰れるし。日本みたく物事がスムーズに運ばない。先生が「絵以外のことをなるべく生活から排除しろ」と言ってたけど、そうしないと本当に集中できる時間なんて、なかなかとれない。
夜に一緒にアトリエを使っている先輩の書法科の友達が遊びに来て、悩んでる先輩のために書を2行くらい書いてお手本を見せてくれました。私も見せてもらって、とても役に立ちました。
「わたしたちは「松」と言うことをとても大切にする。そんなに緊張して書いてては疲れて気が散漫になるよ。」
「松」ってのは、中国語の放松、轻松の「松」で、リラックスすること、自然体でいることを意味します。先輩が筆を持つ時は、傍から見ても力を入れてるのがよくわかるけど、書法のひとは、そっと筆ももち、ゆるやかにしかやかに、ゆっくりだけど、でも遅いわけではない、実に絶妙なリズムで筆を紙の上にはわせてました。
やっぱり、人が書いているのを見ると、書いたものを見るより、とても勉強になる。そして、その人の手を見せてもらいましたが、毎日まじめに書を鍛練をしてるのに、指に目立ったマメや何かのクセのあとがない、きれいな手でした。
書法のひとの印象を胸に、再び自分の摸写に取り掛かってみると、模本の戦も全く違って見えたし、自分の筆の動かし方が、今まで如何に情緒に欠けたものだったのか、よくわかりました。でも、なんか筆を持つのがすごく楽に、そして気持ちいい感じが増えました。
これで書法が自分らの課題になる日が、いつか必ず来るわけですが、楽しみでもあり、非常に恐ろしくもあり
1/4に私たちの期末検査があるそうです。やばい!絶対に摸写を終わらせて出す!!!