夕方、先輩達が、画絹のオーダーメイドのことを、卒業生や山水の人たちと一緒になって、うちのアトリエで話してた。話しがすんで、みんな帰った頃、ドアをノックする人がいた。先輩と私は、遅れてきた山水の人だと思って、入れてしまった。
入ってきたのは、美院とは全く関係のない昆明から来た人だった。日焼けが肌に染みついてて、普通話もおぼつかなく、いかにもあやしい。
この人は、すすけたザックに自分の描いた絵をたくさん詰めて、美院の誰かに批評してもらいに来たのだ。
技術は私よりあるけど、大切な何かが、彼には無くて、先輩が仕方なくいろいろアドバイスしてあげてたけど、その度にいい訳ばかりで、先輩のありがたい言葉を飲み込まない。そもそもその人は、西洋画系志望で、国画ではないので、国画最右翼の花鳥の人に意見を求めるのはお門違いなのだけど、なかなか帰らないで、A4の紙にカラーのボールペンで描かれた絵を、とめどなく先輩に見せていた。
その人の息も切れて、やっとお帰りいただいたところ、先輩がひと言、
「あんあに年食ってて、ただでさえ自分の考えを変えるのは難しいのに、素直に人の意見にうなずかないようでは、絵を学ぶ以前の問題だよ」
これって、ともすれば、自分にも当てはまる可能性のある言葉で、自分は心の中で冷たい汗をかいた。その時、私は先輩の薦めに従って、鳥のお手本の本を買ってきて、なるべく難しそうなのを鉛筆で写していたけど、でも描き方は、中国のやりかたになかなかできなくて、悪戦苦闘していたのだ。
美院ではこういう風に、地方から出てきた画家志望の人が、勝手に学生のスペースに入ってきて、意見を求めることが珍しくないそうだ。だから先輩は平素から、アトリエの中にいても、ドアに鍵をかけるし、私がトイレに行って帰ってきても「誰?」と必ず聞く。
絵の道はけわしい
というか、運命って本当に残酷だ。私がもし、雲南の山の中に生まれてたら、留学生として無試験でのほほんと美院の研究生のアトリエで絵を描いてるなんて夢のまた夢で、彼のように、こ汚いカッコで、いろんな教室のドアを叩いてたかもしれない。逆に、自分の担当教授のように、高名な画家の二世に生まれてれば、純粋な英才教育をうけて、幼少のころから冷たい風に当たることなく、思う存分、才能を振るうことを楽しんで生きてこれたかも知れない
。
仏教徒や回教徒の寺院の近くに、よく「知識は運命を変える」なんて看板がわざとらしく掲げられてたりするけど、知識なんて生易しいものじゃ、こんな運命は変えられない。
生きてる情報を掴んで、お小遣いつきで留学できてる幸運に感謝。謙虚になります。