最近、図書館で勉強しているので、帰りに本を借りて帰ってきて、勉強しないでそれを読むということをしてしまっているのですが、その中で、心にズキッとくる内容があったので、忘れないように書き記しておきます。
教師は生徒を教える時に、動物でなくて植物のイメージを頭に描くべきではないか……略……「教える」ことより「育てる」「育つ」ことが重要になる。教師はとかく子供を動物みたいに「調教」したがるんです。
引用元は、ライアル・ワトソンと日本人の知識人との対談を集めた、「ロスト・クレイドル—ライアル・ワトソン対論集 」(
筑摩/Amazon
)より。
この本も絶版……。白州正子さんとの対談もあって、すごい貴重なのに。
ワトソン博士が一番お気に入りで、私が一番最初に読んだワトソン博士の本である「
未知の贈りもの 
」も、版元には在庫がない……。これもすごくいい本なのに。美術の予備校の先生が教えてくれた本で、「彼女は緑色の歌を歌う」ってフレーズがとても好きだった。ちなみに私が一番好きなのワトソン博士の本は「
アフリカの白い呪術師
」、こちらはまだ新品が書店にある。他者と繋がりを持ち、自然と人類の歴史に深く分け入っていくことで、自分をみつけた実在した青年の物語。弁柄とかの鉄系の赤い色にこだわる人は、読むべき。
この言葉を言ったのは、前の文化庁長官の
河合隼雄さん
(
wiki)。
これを目にした時、とっさに、中学校の先生をしていた時のことが思い出されました。
すごく荒れていた学校で、「曲がってても捩くれていてもいいから、とにかく日の当たる方向へ伸びてくれー」と思いながら毎日どなって働いていたのを、思い出します。イメージしてたのは、通勤電車の窓から毎日見える、珍しい季節外れの朝顔だったのですが、荒れてる生徒に対する時は、手負いの猛獣を叱りつけるような気持ちしか持つ余裕がなかった。油断すると、よく突き飛ばされたりしたし(笑。どうにもならないなら、せめて添え木をあてて、上の方へ芽を向かせてやることはできないものか、僅かでもきっかけを与えられないか……と心の隅では思いつつも、怒鳴ったり、襟首を引っぱるくらいしかできなかった。
今、ヒマを見つけて植物の写生を描きためてますが、植物と言えども、まさに「呉下の阿蒙」ちゃんみたいな、ものすごい速い変化をしていて、改めて驚かされています。あのわんぱくどもも、いつかそんな風に、立派に花も実もある大人になるんだろうか……思いをめぐらすと、そう祈らざるを得ないと同時に、今も身を削って頑張っている先生方のことを考えてしまう。そして、いつかまた教壇に立つことがあったら、少しでもいい仕事が出来るようにしなくてはと思う。
中国語だと、しばしば教師を园丁(庭師)に例えたり、教師がとても多くの教え子を育てあげたことを「
桃李满天下」といい、各地で活躍する教え子を桃や李に例えたりします。
……うーん。中国四千年の知恵だ。