忙しくて更新できていませんが、時間ができたらまとめて留学準備などについて書きますのでご了承下さい。
基本的に美術の作品は、表現するための最低限の色や質感などをもつシンプルな素材で表現されるべきであると思うので、ナマな素材でこのように表現するのはちょっと違う気もします。素材が余分な情報を持ちすぎています。
死体や表すのに、必ずしも現実の死体を使う必要はないわけで、その間隙を埋めるものが作家の技量であり想像力であると思うわけです。
同じ様に生体の素材を使う美術といえば、華道や押し花です。華道や押し花は生体の素材を使っていますが、表現したいものはもっと別な次元のものであるわけで、"花"そのものではないですよね。絵を描いて花の美を表現するのに対して、華道などは、花の美を使って別のものを表現している。
このことをふまえると、この作家さんの場合……例えば、彫刻や絵画や写真を用いたコラージュでなく、どうしても現実の死体を使って、それを超えるような何かを表現したいという世界観や動機があったはずです。
死体は最終目的でなく、単なる表現の手段だったということです。死体をツールにして、表現したい"何か"……。
「鳥も胎児も、おそらく何か良くないことがあって、どちらも死んだわけです。私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹き込んだわけです。」
と、作者のシャオ・ユさんは言っています。
ショッキングな印象を乗り越えて、表現したい"何か"を感じる感覚が必要なのです。
ただ、私がその赤ん坊の母親だったら、標本として献体したとしても、許しがたい行為ですが。
蛇足ですが、以前、私の大学の先輩で、修了制作が展示禁止となり、退学させられた人がいました。その作品は映像で、おそらく審査した先生と作者の人だけしか実際に観た人はいないはずです。たまたまその作者の人が私の部活の先輩で、同じ専攻の別の先輩づてに展示されないわけを聞いて、このことを知りました。本当はもっと別な理由があったのかも知れません。作品を提出したのに退学になるというのは、たとえ作品のレベルが低くてもちょっと考えられません。
その映像の内容は黒魔術と男性同性愛と獣姦っぽい映像で、映像の内容はともかく、撮影手法などは「カッコよかった」ということでした。しかし、作品は修了制作の規定に反していました。展示の関係上、私たちの大学の卒業制作には、「公衆良俗に反しない」という規定があるのです。
表現の自由以前に、規定に反したものを提出したのは、レッドカードで退場になるような意味を持ちます。その枠を超えて作品を作りたければ、卒業してから存分にやればよいわけで、やはり規定があるからには、ルールの中でplayしなくてはいけません。
しかし、退学になった先輩にとっては、あえてそこからはみ出すことに意義があったのかも知れません。
日本でも動物の骨や血を使って作品を作る人がいます。
これはモラルを問われたという話は聞きません。
さらに日本で、猫を虐待し殺害したことをモチーフに油画を描いて、有名な賞をとり、虐待の事実が公になって警察に捕まり、受賞も取り消された人がいました。これに関連した画像は今でもインターネットで見かけます。私は猫が好きなので、非常に気分が悪くなります。この作品に賞を与えた審査員も評価できません。
とりあえず、忘れないように。とりとめもなく、書き留めておきます。
モラルを超えるほどの制作意欲はある意味、羨ましい。